立法螺奉納 ―原澤雄健さん―来社
- 2009.08.05 Wednesday
- 22:35
なんとか午後8時に福井へ帰ってくることができました。というのも、今日はお客さんがあるのでした。
もしかしたら、群馬から福井へ帰らずに東京へそのまま出向せねばならないという可能性があったものの、その予定はなくなり、福井へ帰ってくることができました。
午後8時過ぎに福井駅にて原澤雄健さんと待ち合わせし、藤島神社へお連れしました。
まづ参拝を兼ねて、立法螺の奉納です。
藤島神社の宝物にも法螺貝がありますが、この法螺貝はとっても大きい。
記念に。
実は原澤雄健さんは新田義貞公の遺児・原澤将監道長の子孫で、お祖父さんの原澤新貞(はらさわ・ときさだ=故人)さんはそのルーツを「瀧之澤の流れ」(昭和43年)、「新田義興の遺児 原澤将監」(昭和56年)、「新田義興と原澤一族」(昭和59年)、「上信越太平記」(平成6年)を著わして原澤一族の謎を集成されました。
世の中の記録にはあまり出てこないことですが、私も20年前くらいにそんなことを聞いたことがありまして、「原澤新貞」という名前と「新田義興の遺児 原澤将監」という著書についていつか調べることができるようにとメモをとっていたことを思い出し、この不思議なご縁に感謝しています。
原澤さんは会社にお勤めの傍ら日光修験道山王院に所属され、修験者としてのお名前が雄健さん。祖先・原澤将監は新田義貞公の遺児(新田義興卿の同母弟)であり、民間に下った原澤家からは以来代々修験者を輩出するということです。いただいた資料をよく読み、もっと研究したいと思っています。
今晩帰途につかれるとのこと。またゆっくりお話できることを期して、福井駅でお別れしました。
日光修験道について
http://www.nikko-shugendo.com/index.shtml
もしかしたら、群馬から福井へ帰らずに東京へそのまま出向せねばならないという可能性があったものの、その予定はなくなり、福井へ帰ってくることができました。
午後8時過ぎに福井駅にて原澤雄健さんと待ち合わせし、藤島神社へお連れしました。
まづ参拝を兼ねて、立法螺の奉納です。
藤島神社の宝物にも法螺貝がありますが、この法螺貝はとっても大きい。
記念に。
実は原澤雄健さんは新田義貞公の遺児・原澤将監道長の子孫で、お祖父さんの原澤新貞(はらさわ・ときさだ=故人)さんはそのルーツを「瀧之澤の流れ」(昭和43年)、「新田義興の遺児 原澤将監」(昭和56年)、「新田義興と原澤一族」(昭和59年)、「上信越太平記」(平成6年)を著わして原澤一族の謎を集成されました。
世の中の記録にはあまり出てこないことですが、私も20年前くらいにそんなことを聞いたことがありまして、「原澤新貞」という名前と「新田義興の遺児 原澤将監」という著書についていつか調べることができるようにとメモをとっていたことを思い出し、この不思議なご縁に感謝しています。
原澤さんは会社にお勤めの傍ら日光修験道山王院に所属され、修験者としてのお名前が雄健さん。祖先・原澤将監は新田義貞公の遺児(新田義興卿の同母弟)であり、民間に下った原澤家からは以来代々修験者を輩出するということです。いただいた資料をよく読み、もっと研究したいと思っています。
今晩帰途につかれるとのこと。またゆっくりお話できることを期して、福井駅でお別れしました。
日光修験道について
http://www.nikko-shugendo.com/index.shtml
ちなみに私もあなたと同じ原澤氏です。
突然のコメントですみません。
私の母の実家が水上市新治村の原沢で、
原澤将監道長の子孫と聞いております。
(家系図もありました)
江戸時代には将軍の泊まり宿でもあったと聞きました。
原澤新貞さんの書かれた書も読ませて頂き
何冊か持参しています。
(とても面白かったです)
このことでブログを書かれている方がいるとは
思いませんでしたので、とても驚きました。
ではこれからも拝見させて頂きますので
頑張ってください。
失礼致します。