大館尚氏

  • 2011.01.29 Saturday
  • 20:20
JUGEMテーマ:学問・学校

 当社第2代宮司(初代権宮司)の詳細が不明でありましたが、昨年11月にご縁があり、大館家の末裔の嶺山さんから消息をいただきまして、現在、福井大館家当主の弟さんの大館祐次さんにご連絡をしていただきました。旧臘大館家に残る史料をお借りすることができ、事績ほかの事項が判明しました。
 大館さんより、去る25日にもご来社いただき、その他のお写真などもお借りできました。
 そこで、私見から旧福井藩士出身、大館尚氏周辺についてまとめてみました。
 ご意見等ありましたら何なりとお申し出ください。




第二代宮司

從七位 大 館 尚 氏(おほだち・ひさうぢ)

越前福井藩士(200石)・大館家第6代当主

5代・大館兵馬俊氏の長男 母石川氏(平八光知女)




天保762日生まれ。始め大谷徳太郎、源紀、殳麿、雄氏、和氏、氏亮

文久 21110日 父俊氏とともに鎌倉に宗祖・宗氏の墓碑を再建

  同 35月     黒龍丸乗組

  同  年1228日 大館に復姓(弟・大館多仲譜より)

  同  年1215日 被召出五人扶持

元治元年 825日 家督相續

慶應 4312日 軍事目付見習 のち御目付見習

  同  年 6月     會津御征伐に付き軍監出陣

明治 2年 215日 年給70

  同  年11月     海軍操練所出仕(兵部省)

  同 3227日 病気免職願御附第願之趣聞届候事(兵部省)

  同  年 325日 軍務寮出仕(福井縣)

  同  年 425日 賞典米永世五十石

  同  年 825日 職務差免候事(福井縣)

  同  年128日 軍務寮出仕兼豫備隊長(福井縣)

 同 447日 豫備解隊に付免職更に兵學所出仕(福井縣)

 同 6527日 第四十九大區長申付候事(敦賀縣 ※ 

  同  年12月     區畫改正に付免職(敦賀縣)

  同  年12月     當年より太陽暦発行に付豆腐の家禁を廃す(※◆

 同 711月     不動小學訓導(敦賀縣)(履歴書・9月とす)

 同 9416日 第十六大區學區取締申付候事(敦賀縣)

 同  年 55日 依願職務差免候事(敦賀縣)

 同  年 7月     不動小學訓導(敦賀縣)

 同  年1125日 任藤島神社権宮司 十一等(教部省)

 同101214日 太政官第九十一號御達に付廃官

 同  年1225日 任藤島神社禰宜(内務省)

 同13624日 補権中講義(内務省)

 同141112日 任藤島神社宮司(内務省)

 同15929日 皇典講究所委員委託候事(皇典講究所)

 同1923日 叙正八位

 同261227日 叙從七位

 同29518日 辭職(履歴書・依願免本官とす)

 同  年 525日 東京へ出立移住

 同30421日 病死 於東京62

室・群(むら)女

叔父・津田彌太六正順(祖父・氏信五男)長女

弘化元年97日生まれ

安政61220日婚

 

 

明治91125日、藤島神社が別格官幣社に列せられるに当たり、御祭神・新田義貞公の十一部将の後裔の故に権宮司に任ぜられた。同101214日、太政官第91号御達に付廃官となり、同月25日、改めて禰宜に任ぜられた。

明治141112日、小鹽宮司の退任に伴い宮司に昇進。

皇典講究所(後の國學院大學)では委員となり、中央の会議に度々参画した。









 

●家 族



 古刀の写真

妹は福井藩士・長谷部連人に嫁いだ敏女(始め野尾、琴、古刀)

弟は福井藩士・館多仲のち大館多仲(※)

1子長女・風(早世)

2子長男・源太郎(※ぁ

3子次女・安佐女(始め美波)鳥羽藩士・山澄太三郎妻

4子三女・末知女(萬千子)水谷叙彦(※ァ忘

5子次男・縫次郎(※Α法ヽし馨将・福島敬典(※А僕椹

6子四女・組緒女 松山藩士・小川正孝(※─忘



   萬千子の写真

 


当時の福井県事情は、廃藩置県に先立つ明治31226日(1871122日)、本保県(越前市)が設置。

明治4714日(1871829日)の廃藩置県によって、丸岡藩(有馬家)・福井藩(松平家)・勝山藩(小笠原家)・大野藩(土井家)・鯖江藩(間部家)・小浜藩(酒井家)の各藩が廃止され、現在の福井県域(越前国・若狭国)に7つの県が設置された。

明治41120日(18711231日)福井県と敦賀県の2県となる。

明治41220日(1872129日)福井県が足羽県に改称。

明治6年(1873114日、足羽県が敦賀県に編入(ここでほぼ現在の福井県の県域となる)。

明治9年(1876821日、木ノ芽峠を境に敦賀県が分割され、現在の南越前町以北が石川県に、現在の敦賀市以西が滋賀県に編入。

明治14年(188127日:太政官布告により、嶺北が石川県から分離され、嶺南が滋賀県から分離されて、双方が合併して、福井を県庁所在地として現在の福井県が設置。

 ●なお、明治5122日までは日本は旧暦であり、翌日123日を明治611日とした太陽暦へ移行し、現在の暦となった。従って、以前の暦は旧暦で記載し、( )書きで新暦に換算した日を掲げた。

 

 

従来、大館家には家禁があった。

大館多仲の譜中に、

 

「家禁 容宇(大館俊氏)考より云ひ傳にて存せるものなり

 オモダカ 宅内に入る可らず

 猫 畜ふ可らず

 豆腐 1216日より正月16日迄入る可らず

維新の頃、暦の改ると共に廃せしなり

尚氏兄時代の事

オモダカ、猫は尚存せるなり

然るに正月の床飾り十五夜の團子

等の如きは行ふ可らざるもの悉く

廃せしなり」

とある。

なお、オモダカは澤瀉であろうと思われる。オモダカ科オモダカ属の水生植物であり、ハナグワイ、サンカクグサ、イモグサ、オトゲナシなど多くの別名がある。

オモダカの語源ははっきりせず、人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」という字を当てることもある。

 現在、大館家ではこの家禁は存在していないとのことである。

 

 

※B膣杪臣隋覆ほだち・たちゅう)

大館俊氏の次男。大館尚氏の弟。




始め大谷新次郎、又八郎、大館清蔵、藤九郎、多仲。

諱も俊眞、宗誠、貫氏、滋氏。

號・壽福、始め智機宇。

天保14810日生まれ。

文久31228日 大館に復姓。

明治以後、分家し館を姓とするも後大館家に帰籍。後年更に分家。

福井県坂井郡春江村中庄鎮座・神明神社祠掌(社掌)。






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